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キスが嫌いなこどもたち

すっかりご無沙汰しております。

週一度程度の不定期更新を予定していたのに、

前回の更新からひと月半ほど経過してしまった・・・。


こんな感じでマイペースに参りたいと思っております^^;


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アメリカやヨーロッパのドラマや映画なんかでは

おやすみのときなどに親子がキスする場面をよく見るが、

そういうキスの習慣について抵抗を感じる子どもは

結構多いのかもしれないとこのごろ思う。


そう思うようになったのは、「キスなんか嫌いだ」といったような

テーマの絵本を3冊ほど立て続けに読んだから。


フィリス ルート, Phyllis Root, Will Hillenbrand, こだま ともこ, ウィル ヒレンブランド
キスなんかしないよ!

エマ・チチェスター クラーク, Emma Chichester Clark, まつかわ まゆみ
キスなんてごめんだよ!

トミー・ウンゲラー, 矢川 澄子
キスなんてだいきらい

フィリス・ルート『キスなんかしないよ!』 は

主人公のアンナリーサが

ミルクをしぼったあとに牝牛にお礼のキスをするのをいやがったため、

ミルクが出なくなってしまうというお話。


エマ・チチェスター・クラーク『キスなんてごめんだよ!』 は

キスするのもされるのも大嫌いなさるの男の子モモの家に

弟が生まれて、みんなが赤ちゃんにキスするが

モモは絶対にしないぞ!と思っているが・・ というお話。


トミー・ウンゲラー『キスなんてだいきらい』 は

反抗期のネコの男の子パイパーのくらしぶりを描いた絵本で、

彼の場合はキス以外のことにも色々反抗している様子だが、

タイトル通り、お母さんにキスしたりされたりするのも嫌がっている。



3冊とも、自我の芽生え始めたこどもたちが

身の回りの大人にとっては当たり前の習慣であるキスについて、

なんだか照れくさいなあとか、きたないんじゃないかなあとか、

今はそっとしておいて欲しいのになあ、

などと意識しはじめる時期の気持ちが描かれていると思う。


キスなんて・・!と反抗しているのだが、

反抗するその態度にはかえって生真面目ささえ感じられる。

大人のすることひとつひとつを

「自分もするべきかどうか」 と検証しているような。

こんなふうにして人は大人になっていくのかもしれない。



まほうのじかんです

もう一度読んでみたいがタイトルがわからない本のひとつに、

「まほうのじかんです」

がある。

絵本ではなく、

小学校5、6年の頃に読んだ少し長いお話の本。

つい昨日まではこれがタイトルだと思っていたのだが、

図書館・Amazon・Yahoo!で検索しても見つからない。

魔法、マホウ、じかん時間ジカンと色々試したが出てこなかったということは、

そもそもこれがタイトルではないと考えた方が良さそうだ。

(ネット上には無いか、うまく検索できなかっただけかもしれないが)



夢の中で夢の内容をコントロールできる女の子が主人公で、

ふしぎなことが色々あったあとに

その子が心身ともにちょっと大人になって終わる話だったと思う。


おばあさんが魔法使いで、

その子もその血をひいていたかもしれないが、よく覚えていない。

会話の上だけだったか、現物が登場したかはわからないが、

ニワトコの木の魔法の杖が出てきたと思う。

・・・でもこれも自信がなくなってきた。

ニワトコのお茶が出てきただけかもしれない。


オチの一部だけは印象的だった。

その子が最後に出合ったできごとは当時の私には未経験だったからだ。


魔法にひかれて読んだのだが

(だからタイトルのどこかには「まほう」が入っていたはず)、

このお話にはあまり派手な魔法は出てこなかったと思う。

主人公は魔法を使えずじまいだったような気がする。

夢の中だけで何かをどうにかするお話だったのかもしれない。


でも、派手な魔法が登場する話と同じくらいに面白くて、

お話の世界にひきこまれて読んだことを覚えている。


いつかタイトルがわかってまた読めたらいいなと思っている。



『こんにちは おにさん』

内田麟太郎、広野多珂子絵

『こんにちは おにさん』

個人的お気に入り度:★★★


内田 麟太郎, 広野 多珂子
こんにちはおにさん


(こんなお話)


本当はやさしくて、いつもイタチとタヌキを肩車してくれるのに、

他の誰かの前では威張って強そうなフリをしていた鬼。


ある日鬼は、クマとイノシシの前で毛虫におどろき、
タヌキにしがみついてしまう。

クマたちに笑われて恥ずかしくなった鬼は
家にとじこもり、イタチとタヌキが呼んでも出てこない。

真夏の日差しの下で待ち続けたふたりは倒れてしまう。

鬼はもう二度と外に出てこないのだろうか。


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(感想)

友達思いのイタチとタヌキ、2人のけなげさと、

鬼の人間らしさに共感でき、2度読んだが2度ともほろりとなった。


鬼が出てくるのをまちきれず

(夏から「さくらが散る頃」なんてとても待てない)

2人が実行した作戦(?)がなんとも素敵で、

その場面の絵もページをひらいたとたんぱっとはなやかで、

感動してしまう。


このページに限らず絵がきれいで、

雨の降るページ(梅雨の季節)は雨音まで聞こえてくるよう。


裏表紙では、鬼のことを笑っていたクマがイノシシを肩車していて、

鬼たちの友情がうらやましくなったんだろうなあと、

これもまたほほえましい。



穴掘りの話

子どもの頃からの根性なしで、

落とし穴ひとつ満足に完成させたことがない。


しかし、地面を掘り続けたら一体どこにたどり着くのか、

どんな宝物が出てくるだろうと、

色々考えてわくわくするのは大好きだった。


地中深くはどんな場所なんだろう。

地球の裏側まで掘ることはできるんだろうか。

地球の裏側の人たちは、今頃何をしているんだろう?



そのわくわく感をひさしぶりに思い出させてくれた絵本が、

『もぐもぐとんねる』 である。


しらたに ゆきこ
もぐもぐとんねる

翌日からトンネル掘りを練習することになったもぐもぐが、

誰に教わらなくても掘れるんだと夜ひとりで掘り始め、

見当違いなところにばかり行ってしまう、

というコミカルなお話。

絵もかわいくて、しかもアニメを見ているように迫力がある。


主人公がもぐらなだけに、穴を掘るのが大得意で、

とんでもないところに出るまで掘り続けてくれるので、

見るほうは次はどこに行ってしまうのかとはらはらしつつも、

主人公が穴掘りをやめてしまうことはない

(ちょっと行き倒れになりかけるけど)ので、

安心してその行き先を楽しめる。




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一方、絵本ではないが、児童文学で、

穴掘りって子どもの頃はたいていみんな面白がるけど、

実はすごく大変なんだよ、というお話があって、

これはずいぶん前に読んで、大好きな本だ。


タイトルはそのものずばり『穴』 


ルイス・サッカー, 幸田 敦子, Louis Sachar

冤罪で砂漠の更生施設に入れられた男の子が、

硬い地面に身長と同じくらいの直径・深さの穴を毎日掘らされる話だ。


何の目的もなく穴を掘り続けることで、

心身が鍛えられ、不良少年たちの更生に役立つ。

施設の関係者は穴掘りの効能をこう謳っているけれど、

実はこれには裏の目的がある。


主人公の成長あり、友情あり、冒険あり、

張り巡らされた伏線も最後には見事につながって

ちょっぴり不幸だったのが最後にはみんなよくなる、

ほんとに胸のすくような話で、大好きなのだが、

ここまで好きになったのは、やっぱり穴あってこそという気がする。


穴掘り作業じゃなく別の何かをやらされる話だったら、

施設の周りが不毛な砂漠に見渡す限り

穴ぼこがあいているという光景じゃなかったら、

この話にそれほど魅力を感じなかっただろう。


一見楽しそうだがやってみるとつらい穴掘り。

大変さはわかっているから、自分が掘るのも無論いや。

それなのに、

どんなに意味がなく、苦しいと言われても、

ばかばかしい作業に描かれていても、

穴を掘るという作業が面白そうに見えてしまうのだ。



きっと私の心にあいている=物語のツボの1つに、

穴についてのお話がぴったりはまるのだろう、とも思うし、

そんなふうに見えるように書かれているのだという気もする。



『ながいよるのおつきさま』

シンシア・ライラント、マーク・シーゲル絵、渡辺葉訳

『ながいよるのおつきさま』

個人的お気に入り度:★★★★


シンシア ライラント, Cynthia Rylant, Mark Siegel, 渡辺 葉, マーク シーゲル
ながいよるのおつきさま


「あらしのおつきさま」 「めぶきのおつきさま」

「いちごのおつきさま」 「あらいぐまのおつきさま」

など、

アメリカ原住民が、一年間の12の満月にそれぞれつけた名前。


その美しい名前にヒントを得て書かれた詩的な文章と、

月の神秘的な光を表現した木炭の絵とで構成された絵本。


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登場するのはすべて満月で、すべて月夜の場面。

ごく大雑把に見ればどれも同じ月夜の夜景にすぎないのだが、

1年の間に季節も移りかわり、天候も変化に富んでいて、

景色も少しずつずらしてあるので、

1年を見ていくと広い範囲を見渡せるようになっているなど、

見ていて飽きることがない。


また、同じ満月でも色や模様の有無、もやにかすんでいるなど

バリエーションがつけてある。


その月に照らされて、

地上の生きものや木や丘の一部が鈍く輝くさまを表現するために、

ほんのりした銀色が使われているのがきれい。



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あらし、よつゆ、いちご、みのり、あらいぐま、しもばしら、など、

季節に合わせて身近な動植物や天候、農事にちなんだ名前がついていて、


アメリカ先住民の人たち(どの部族かなどよくわからないが)が、

昔からそれぞれの満月を特別視しつつ、

親しみを込めて呼び、眺めてきたようすが目に浮かぶようで、
満月に名前をつける風習をなんだかうらやましく思えてきた。



更新頻度変更のお知らせ

まことに勝手ながら、


今月より、絵本についての記事の更新を、

当分のあいだ週1回程度とさせて頂きます。


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更新回数を減らそうと思った理由は、


1.より多くの絵本、またその他の本を読む時間を作る


  一日一冊程度は読もうと思っていたけど、

  記事にしなければもう少し読めるのではないかと思いました。

  でも思っただけで、実際は増えないかもしれないけど。


2.お気に入り度の高い絵本を中心に書ける


  よって、ちょっと内容が濃くなる・・

  といいが、実現するかどうかは不明あせる


  それと最近著作権が少し気になっていまして、

  本の内容を要約するだけでも違反にあたるとか。

  あまり感想のほうの内容が薄いと、

  私のオリジナルの部分より元の本の度合いが強くなってしまうので、

  考えてみると今までそういう記事が結構多かった気がしてきました。

  今のところは記事をみな削除しなければ、というほどではないと思っていますが、

  今後の記事は感想主体で要約っぽくならないスタイルにするつもりです。


3.絵本と関係ない記事を書く機会が増える・・かも(笑)


  これも結局ほとんど書かない可能性大(そんなのが多いな^^;)



4.他の遊び(ゲームなど)の時間を増やす(笑)


  この春から、やけに身の回りにゲームが集まってしまっています。

  ニンテンドーDS(ソフトは英語漬けと脳を鍛える~~)は買っちゃったし、

  前からやっている「イリスのアトリエ」はまだ終わってないし、

  オンラインのFFXIは新しい追加ディスクが出たし、

  ファイナルファンタジー12も未クリアです。

  全部ちゃんと遊ばなくては。



などです。


目論見が外れて、ただ怠けただけで終わる可能性もあれば、

やっぱり週に1冊ぐらいじゃ少なすぎる!と頻度を少し戻すかもしれず、

また逆にさらに減らすかもしれません。



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というわけで、

従来よりさらにマイペースなのんびり更新カメとなりますが、

頻度が少なくても細く長く続けていくつもりですので、

今後ともよろしくお願いいたします。




『りっぱなうんち』

きたやまようこ

『りっぱなうんち』

個人的お気に入り度:★★★


きたやま ようこ
りっぱなうんち


お気に入りブログか、IEの「お気に入り」に入れてあるどこかの

ブログで見つけたのだけど、メモし忘れ、

どちらのブログだったのかど忘れしてしまいました。
すみません;

そして楽しい絵本を教えてくださりありがとうございます^^

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みみずのうんちはなにうんち?

みみずのうんちはどろんこうんち。

どろんこいっぱいたべたから。

うんうん りっぱなうんちだね。 

といった具合に、

きんぎょはみじんこ、

うさぎはたんぽぽ(人参じゃないのが型どおりじゃない)、
ライオンはしまうま(といってもしましまではない)
など、食べたものにちなんだうんちや、

独特の形状のうんちを紹介する。

人間の「ぼく」のうんちは・・。

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食べているものは概ね本当の生態に沿っているのだが、

みみずはどろんこおにぎり、きんぎょはみじんこバーガーと、

中には献立が人間っぽくなっているのもあって、面白い。

引用した部分でわかるように文章も調子よく、

そのうち曲がついて歌になりそう?



『クマの名前は日曜日』

アクセル・ハッケ、ミヒャエル・ゾーヴァ、丘沢静也訳

『クマの名前は日曜日』

個人的お気に入り度:★★★


アクセル ハッケ, Axel Hacke, Michael Sowa, 丘沢 静也, ミヒャエル ゾーヴァ
クマの名前は日曜日


「わたし」 が小さかったころの話。(「わたし」の名前は作者と同じ)


ある日曜日、目を覚ますとそばに寝ていた、

ぴっかぴかの一年生みたいな 」 クマのぬいぐるみ。


ぼくは彼に「日曜日」 と名前をつけ、以来

自転車やブランコに乗るのも、食事もトイレも、

とにかくいつも一緒にすごす。
寝るときには抱き寄せて毛をなで、

「日曜日」の存在をたしかめてから眠りにつくのだった。


しかしある朝、クマはキスもしてこないし、

いつもじっとしていて、食事をあげても食べるのを見たことがない、

本当にぼくのことを好きなのかな?と疑問に思ったぼくは、
日曜日をゆすったり踏んづけたり、

ミルクとはちみつを口に入れてあげようとしたりする。


お母さんははちみつで汚れたぬいぐるみを洗濯機で洗い、

洗濯バサミで物干しに吊るす。

その晩ぼくは、「日曜日」という名の子グマのお父さんが、

クマの経営するおもちゃ屋に住まう、人間のぬいぐるみであるぼくを

買いに来る夢をみるのだった。

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いつも一緒に過ごしていたクマのぬいぐるみ。

自分は目一杯愛情を表現している(つもりだ)が、

ぬいぐるみは目立った行動をしない。

果たして自分のことを、ぬいぐるみはどう思っているのだろう?

モノなのに、生きものをかたどっているがゆえに

ふつうはやさしく取り扱うことが期待され、
抱きしめたり、座らせたり、
家族や友人のように共に時を過ごすぬいぐるみ。

そうやって何のうたがいもなく暮らしていて、

ある日、ふと疑問を抱く。

このぬいぐるみは、生きているのか、いないのか。

何かを考えるのか、考えないのか。

ぬいぐるみに愛はあるのか。


そんな瞬間を切り取って見せたお話かもしれない。


私自身は、
小さい頃はそんなにはぬいぐるみに執着した記憶はないし、

反対に乱暴に扱った覚えも、覚えていないだけかもしれないが、

あまりない。


ぬいぐるみを主人公としたお話

(人間になりたい、ボロボロになって捨てられた、愛されたいなど)

には自分の心の葛藤の延長として共感できるようになったが

(こういうお話は本当は人間についてのテーマだからかもしれない)、


ぬいぐるみを乱暴に扱う心理のほうはあまり深く考えず、

乱暴にしても痛くない布製のおもちゃの一種と考えているのかな、

と思う程度だったが、

もしかしたらこの本の主人公のように、

ぬいぐるみと自分の関係をたしかめている瞬間があるのかもしれない。


ぬいぐるみを噛んだり放り投げたり踏んづけたりする子に、

ぬいぐるみが痛がっているよと言ったら、

その子は次第に思いやりを覚えていくのだろうと思われるが、

もしかすると自分で発見しようとしていた何かを

それと引き換えに手放してしまうこともあるのかもしれない。


そんなことをふと考えた。




『プラリネク あるクリスマスの物語』

アクセル・ハッケ、ミヒャエル・ゾーヴァ絵、

三浦美紀子訳

『プラリネク あるクリスマスの物語』

個人的お気に入り度:★★★


アクセル ハッケ, Axel Hacke, Michael Sowa, 三浦 美紀子, ミヒャエル ゾーヴァ
プラリネク―あるクリスマスの物語


子どもの「君」 が、「クリストキント」

(ドイツで、クリスマスにプレゼントを配る子ども。)

をまっている間に、「私」=父親がお話をする。
以下はそのお話。


クリスマスの近いある日、アルトゥアという男の子は、
台所から「おーーーーーー」という声で呼ばれ、
台所でプラリネの箱を見つける。

アルトゥアはその箱からロボットを作ることをひらめき、

洗剤の箱、コルク栓、トイレットペーパーの芯などを材料に

ロボットを組み立て、プラリネクと名づける。


プラリネクは洗剤の箱やプラリネの箱に書かれたことばを多用した

独特のしゃべり方をする。

アルトゥアはプラリネクをお父さんへのプレゼントにしようと決める。


恐竜の人形やおもちゃのロボットと友達になったプラリネクは、

おもちゃ箱の中でジュースを欲しがっているピエロ(?)のために

ジュースを持ってきてあげようと、台所に行く。


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仕事で飛び回っていてふだん「きみ」のことを

あまりかまってやれないお父さんは、

そのことでちょっと罪の意識を感じていて、

せめてクリスマスぐらいは息子とじっくり付き合いたいと思っている。


しかし息子は父親と接する機会が少ないので、

父親以上にちょっと戸惑っているようす。

だから初めはお話を聞くことを渋るが、

「私」は手に(だったかな)ポーズボタンを描き、
いつでも好きなときにこのボタンを押したら

話すのを止めるからね、といって話し始める。

(私が子どもだったら、そんなボタンを作ったら、
何回も押してみたくなって、話が全然進まない気がするが(笑))

初めはしぶしぶだった男の子も、次第にお話に引き込まれていく。

というのも、自分と同じような境遇の男の子のクリスマスの話だし、

たぶん本当はお父さんのお話を初めから聞きたかったのだろう

という気もする。


結局このお話は、クリストキントがやってきたことで

中断してしまい、そこで話(本自体の話)が終わるのだが、
クリストキントが持ってきたプレゼントよりも、

お父さんのお話の方をうれしく思ったクリスマスになったのではないかな。

『世界のなぞかけ昔話1 どうしてかわかる?』

ジョージ・シャノン、ピーター・シス絵、福本友美子訳

『世界のなぞかけ昔話1 どうしてかわかる?』

個人的お気に入り度:★★★


ジョージ シャノン, George W.B. Shannon, Peter Sis, 福本 友美子, ピーター シス
どうしてかわかる?―世界のなぞかけ昔話〈1〉


世界の昔話から厳選した、なぞかけ系のお話の概要を紹介し、

問題文→たね明かしというクイズ形式にした絵本。


日本では大岡越前の逸話として有名な

産みの母と育ての母、どちらに親権があるかを

子どもを引っ張り合わせて決める話

(ソロモン王の逸話として紹介されている)や、


オオカミとヤギとキャベツを小舟にひとつずつしか乗せられず、

オオカミはヤギと一緒にいるとヤギを食べてしまうし、

ヤギはキャベツを食べてしまう。

どういう順番で運んだらみんな無事に向こう岸にいけるか、

というこれまたよく聞くお話をはじめ、


イソップにグリム、アフリカ、インド、中国、アメリカと、

広範囲から昔話十数本が集められている。


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昔話のエッセンスをさっと読めて、頭の体操もできる、

手軽でお得な一冊といったかんじ。

面白いと思ったのは、「かしこいおよめさん」という、

アルメニアの民話からの問題。


ヒヨコマメが大好物でつまみ食いしていたおよめさんが、

姑からの盗み食いの疑い(事実やっているのだが)を晴らすため、
床に落ちていたヒヨコマメを拾い上げ、

姑の前で何を言ったか、というもの。


答えは理屈上は合っているんだけど、

実際にはこれで疑いが晴れようとは思えないし、ふつうは言えなさそう。

しかし、ほんとに言ったらかえってすごいかも、

姑もその図太さに感心するか、

冗談のセンスに笑ってしまうか、

あるいはそこまでしてヒヨコマメをつまみ食いしたいのかと

あきらめてくれるんじゃなかろうか。

などと、お話自体は短く簡潔なのに、色々考えてしまった。


えー、ずるい、と思ってしまうようなお話もあったが、

本来なぞなぞやとんちはそんなもので、

私の頭が固いのであろう。

頭をやわらかくして、楽しみたい絵本。


印刷は2色でシンプルだが、

ピーター・シスのさし絵が緻密できれい。


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